Code for History

"Code for History"はIT技術を歴史学上の問題の解決に使うコミュニティです。強調したいのは、我々にとってIT技術は「手段」であって「目的」ではありません。「目的」は歴史学上の問題を解決する事であって、必要であればITでない手段も活用します。常に最優先なのは、問題を解決することです。

MapBoxとZenrin提携が話題ですが、OpenStreetMap創設者Steve CoastのTomTom入りの方が世界的にはインパクト大と思う

前置き

私は某地図会社に勤めています。
その会社の中で、3年前の合流時よりこの会社はこういう方向に向かうべき、というアイデアを社内でことある毎に共有してきたのですが、個人レベルでおもしろいね、と言ってくれる人はいたものの、会社のアクションとしては全く相手にされることはありませんでした。
今回、そのアイデアが今後採用されることがなくなった/採用されても意味がなくなった決定的な出来事が起きましたので、アイデア供養も兼ねてこのブログで公開共有したいと思います。
会社に勤める者として、社外秘の情報は当然公開しちゃダメですが、個人が内部で挙げたアイデアで、経営陣レベルどころかマネージャ層レベルですら揉まれた事のないようなアイデアを社外共有するのに、何の秘密保持違反もクソもないと思うのですが、念のためこの記事中では私の所属は某社として伏せておきます。
ちょっと調べればすぐ分かるのですが(この記事からリンク貼るつもりの資料の中にすら書かれているかと思うし)、まあ直に検索にひっかかるのもよくないかなと思うので。

ICC2019でのショック

先々週は日本で何十年ぶりの国際地図学会、ICC2019の実施週でした。

www.icc2019.org

ちょうど同じ週に、SoftBank Worldも開催され、ICCとSW両方にゲストスピーカーとして呼ばれたMapBoxの首脳陣が、mapbox.jpのローンチと、(これは以前から知られていましたが)Zenrinとの提携、そしてYahoo Japanおよびコマツとの提携を発表しました。

sbw.tm.softbank.jp

blog.mapbox.com

これは日本の地図界にとっては中々のインパクトです。
OpenSourceで技術が磨かれているMapBox社の技術は超一流で確かなものの、使っているデータがOpenStreetMapで、ビジュアライズはともかく地物属性などに不安があるのでエンタープライズの利用には躊躇があったであろうところに、日本ではいきなり、ついこの間まで天下のGoogle様御用達だった超一流地図データのZenrinとのセットで殴り込みをかけてくるわけです。
Google Mapsの一時的データ劣化である種の阿鼻叫喚、狩場になっていたであろう日本のエンタープライズ地図技術市場に、巨大黒船が、ついこの間まで使ってた失われたあの思い出深い地図データをひっさげて上陸してきたわけです。
これむちゃくちゃ顧客流れますよね...せっかくの狩場なところ、某社が日本を投入する頃には獲物残ってるんだろうか...変えたばかりの顧客がまたすぐ変える事はほぼ期待できないの含め、これ相当な危機意識持たないとダメですよ某社...現場はともかく、首脳陣とか危機感持ってるのかな...雲の上の方々なのでよくわからん。

が、日本市場ではこれが大きなニュースですが、個人的にはICCで知った別の事件にもっとインパクトというかダメージを受けました。
事件というか、今年4月には起こっていたことを、アンテナ感度が低かったために掴んでいなかっただけなのですが、

ICCのキーノートに呼ばれたSteve Coastが4月からTomTomのVice Presidentになってる!マジで????????

Steve CoastやTomTomといっても、知らない人の方が多いかもしれません。
Steveは、OpenStreetMap創始者です。

en.wikipedia.org

TomTomは、世界の多くの国の地図データを提供できる、世界的地図の最大手の1つです。

www.tomtom.com

最大手と言っても、某社の方がシェアも規模も大きいのですが、Googleは世界的に地図サービスを展開しているものの地図データは販売していないので、世界的に多くの国のデータを共通データ仕様で提供できる会社というと、世界探してもほぼ某社とTomTomしか存在しないと言っても過言ではありません。
ちなみに、Appleマップは日本ではiPCのデータを使っていますが、海外ではTomTomです。
その中でもシェアは今のところ某社の方がTomTomより圧倒的に多いのですが、しかし某社にとってもTomTomにとっても、OpenStreetMapは徐々にシェアを奪う大きな脅威になりつつあります。
リッチな道路属性などデータ品質保証が必要な領域では、OpenStreetMapはまだまだ足元にも及ばないというか比較するの自体が馬鹿らしいような存在ですが、しかしながら地図というのはそんな道路属性が必要な用途だけではないので、単に地物の形状を描画するだけの用途であれば、OpenStreetMapは着実に某社やTomTomのシェアを奪いつつあります。
つまりは、某社やTomTomにとってOpenStreetMapは商売敵扱いであり、私もよく社内で、冗談ではありますがOpenStreetMapに取り組んでいることに対し「裏切り者(笑)」と言われることがある存在です。
そのOpenStreetMap創始者、ようするに持ち主が、TomTomの二番目に偉い人ですよ。
「両者をリンクさせず、単に仕事ではTomTom、プライベートではOpenStreetMapの両方やる」なんてのは、もはや利益相反(Conflict of interest)とかってレベルじゃなくて背信行為に近いでしょう。
明らかに、TomTomの地図とOpenStreetMapの地図をリンクさせることを狙っています。
予言しますが、近いうちにTomTomは、OpenStreetMapの最大のContributor企業になるでしょう。
そして、それを元に、TomTomはOpenStreetMap上の成果をTomTomのデータソースとしても使うようになるでしょう。

なぜ自信を持って言えるかというと、それが私が某社の中で、3年前からずっとそうすべきと言ってきたことだからです。
某社の地図とOpenStreetMapの地図をリンクさせて、某社はOpenStreetMapの最大のContributor企業になるべき、それを元に、某社はOpenStreetMap上の成果を某社のデータソースとしても使うようになるべき、というのを、ずっと私は主張してきました。
が、SteveがTomTomのVPになった以上、その戦略はTomTomが採るだろうし、TomTomのVPが率いる組織であるOpenStreetMapに、某社がContributeすることはもうないでしょう。
さようならマイアイデア
供養のためにここにどんなことを考えていたか晒します。

OSM利用レベル1:変更をウォッチする

OpenStreetMapを競合扱いしかしていない某社の中では、OpenStreetMapを忌避こそすれそれを調査したり、有効に活用しようとする機運はありませんでした。
が、ご存知の通りOpenStreetMapはあらゆる存在にとって敵でもなんでもなく、単にルールに従えば誰でも編集したり利用できたりする、データの置き場でしかありません。

なので、私はことある毎に、OpenStreetMapを敵視するな、むしろ某社の利益のために有効に使え、ということを主張してきました。
その中でも一番簡単な利用法として、OpenStreetMapを使っているということを公にしなくてもできる施策として、「OpenStreetMapを監視せよ」ということを言ってきました。

私は1年くらい前まで、販売後の地図製品についてお客さんのクレームをサポートする部署にいました。
そういう部署にいると、「◯◯国で◯年前に開通している高速道路、おたくの地図だとまだ反映されてないけどどうなってんだ!」みたいなお叱りを受けることがありました。
某社全世界の精密な地図を持ってますが、力の傾斜配分があるので先進国だとまず瞬時に高速道路の新規建設などは反映されますが、やはり発展途上国などだとどうしても新しい発展に気付くのが遅くなり、反映が遅れてしまう時もあります。
そういう時に、競合の状況比較で他社の状況を調べた時に、某社の地図では反映されていない道路がOpenStreetMapでは反映されていることが、全てのケースではありませんがいくつかのケースではありました。

反映されているOpenStreetMapのデータをそのまま盗用してデータとして使うと当然大問題ですが(その視点で、他社の状況を調べたというと、反映のために他社のデータを盗用したのか、と疑われるかもしれませんが、某社の地図は詳細な地図属性を整備する必要があることもあり、整備自体は実際に現地確認しないと反映されませんので、その点は大丈夫です)、しかし、OpenStreetMapの変化点の履歴は誰でも使える形で公開されているデータであり、それを監視することは別に誰に対してでも認められていることです。
監視していると公言する必要すらありません。
OpenStreetMapの変化点を随時監視し、自分たちの地図と大きな差があれば、それを現実変化のセンサーとして検知し、現地調査に向かって変化を反映する。
この体勢が作れれば、現実の反映がOpenStreetMapより遅かったとしても、年単位で差をつけられるようなことはまず起こり得ません。

この提言を社内に対して行いましたが、おそらく地図製作担当部署の責任者までは届いていないので、私の提言を起点としてこの施策が採られたということはないと思います。
(ただ、別にやってると公言する必要のない施策なので、地図製作担当部署内で同じことを考えた奴がもしいれば、始めている可能性はあります。なので某社がこれをやってるのかどうかは私にはわかりません。)

まあこれは、効果的だけども地味なOpenStreetMap活用法ですが、私の本論はその次の提言で、もっとアグレッシブにOpenStreetMapを活用する案でした。

OSM利用レベル2:OpenStreetMapのデータに某社の地図データを貢献する(競争力に問題のない範囲で)

市場では、某社やTomTomの地図データが、OpenStreetMapの地図データと同じ俎上に並べられて、優れている劣っていると評価されます。
が、これ、本当に同じ俎上に並べられるもんなのでしょうか?
私は全くそうは思いません。
道路を扱う上で、重要な情報である属性 -- 一方通行、右左折禁止、制限速度、一時停止、Uターン禁止、レーンの数、路側帯駐車スペースの有無、交差点でのレーンの接続関係、駐停車禁止、信号の有無、交差点の形状、通行可能な車種、通り抜け禁止、優先車線、中央分離帯の有無、中央分離帯が物理的かゼブラか、トラックの高さ制限、幅制限、長さ制限、爆発物積載車禁止、道路の種別、道路の路面状況、道路の名称、スクールゾーン、環境地域、有料道路の通行料 -- 思いつくだけでもこの程度、普通の身近な道路でも200以上、特殊な道路だとそれ以上の属性が、某社では4000ページ以上の整備仕様書で定義され、どんな道路でも確実に付与されます。
TomTomでもそうでしょう、が、OpenStreetMapではこのような属性の整備は全く保証されません。
このような特殊な属性も定義する仕様はOpenStreetMapでも存在するのですが(例:ターン禁止の仕様)、ボランタリーなOpenStreetMap整備者にそれを整備することは全く徹底されていないため、整備は全く保証されません。
実際問題OpenStreetMapの道路では、属性というと道路種別の1属性しか整備されていない道路なんてザラにあります。
200種以上の属性整備が「保証されている」地図と、属性があるのかないのかさっぱりわからない地図 -- この両者が並べられようはずがないのですが、しかし実際には、共に独立した「地図データ」として市場に並べられるため、詳細までデータを精査した人以外には、両者の品質の差の詳細はわかりません。

が、市場に並べられる前に、両者の品質の差を明確にできる仕組みを作れたら?
それが私が某社内で提案していた施策です。
OpenStreetMapの弱い地域での道路ジオメトリや、あるいは某社の属性整備の優位性を侵害しない範囲での一部の属性などを、OpenStreetMapにデータとして寄付すればよいのではないか。
OpenStreetMapが全世界で、たとえば一方通行と制限速度属性だけを完璧に整備しても、その他の200以上もの属性を整備している某社地図の優位性は揺るぎませんが、それら程度ですら完璧には整備されていないOpenStreetMapにとっては、大きな貢献になります。
それだけではなく、某社のごく一部のデータを寄付してOpenStreetMapに貢献という構図を作ることは、OpenStreetMapデータの上位バージョンが某社の地図データ、つまりはLinuxでいうところのOpenStreetMapCentOS、某社地図がRedHat Linuxみたいな関係性に持ち込めるので、「うん、低品質なデータが使いたい人はOpenStreetMap使えばいいよー。でも高品質な地図が欲しい人は某社地図使ってねー」という構図に押し込めることができます。
こうなると、俎上に並ぶ前に既に差がついていますから、営業としても対OpenStreetMapで優位な主張ができる分、アピールがやりやすくなるでしょう。

その他にも、この施策を行うとマーケットで良い立場に立てる可能性がたくさんあります。
まず最前提として、それだけ全世界で一部属性の整備がほぼ完璧になるほどの貢献をすると、OpenStreetMapのコミュニティの中で某社がまず押しも押されぬ一番貢献している会社、ということになると思いますが、そうなると全世界の優秀なOpen Source 開発者や地図技術者の興味を某社に引くことができ、優秀な人材の確保にも役立つことでしょう。

また、OpenStreetMapに大きな貢献をすることによって、逆にOpenStreetMapになされた多大なボランタリーな更新なども、某社地図データに取り込むことがやりやすくなります。
いまやOpenStreetMapは、多数の暇で奇特なボランティア集団が空き時間にシコシコ更新してる趣味データベースではなく、MicrosoftAppleFacebook、Mapbox、Grabといった巨大企業が投資をつぎ込み、OpenStreetMapを更新する人間を雇用して雇って、OpenStreetMapに対する更新も平日夕方や休日より、平日日中の方が活発になっているような状況になっています。

FacebookはこんなソリューションもOpenStreetMapに投入しようとしています。

gigazine.net

世界を牛耳るGAFAMのうち、3つまでが投資しまくっている成果がOpenStreetMapには集まるんですよ!
今でこそ道路形状だけかもしれませんが、これだけの投資があれば、将来的には某社が必要とするような属性もOpenStreetMap上に自動整備されたりできるようになる可能性もあります。
そしてその成果を自社地図データに取り込んでも誰にも文句言われないような関係性をOpenStreetMapとの間に作っておけば、GAFAMのGとA以外がつぎ込む豊富な資金から生まれた成果を、堂々と自社地図データに取り込めるのです。
投資金額ではGoogle一社に負けないエコシステムを、作れる可能性すらあります。

そういう提案を、私は某社の中でしてきました、いつか採用されるだろうと思い。

OpenStreetMapとTomTomが繋がることにより、私のアイデアの採用される可能性はなくなった

が、SteveのTomTom入社により、某社とOpenStreetMapが繋がる可能性はなくなりました。
さようならマイアイデア
私のアイデアなんてしょせん組織を経営したこともないどシロウトの思いつきなので、SteveのOpenStreetMapとTomTomは、もっと世界を驚かすような関係性を示してくるかもしれません。
が、もう少し抽象性を高めて確実に言えることは、繰り返しになりますが、TomTomは、OpenStreetMapの最大のContributor企業になるでしょう。
そして、TomTomはOpenStreetMap上の成果をTomTomのデータソースとしても使うようになるでしょう。
自分のアイデアが潰えたのは悔しいですが、Steveがどんな未来を見せてくれるか、楽しみではあります。

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