Code for History

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こんなバイトをやってきた:単発バイト編

会社で私のバイト経験の話をしたらなんか盛り上がった。
バイトなんてみんなやってるので、それぞれの人がそれなりに面白い話持ってるんだろうと思ってたら、意外とみんなバイト経験ないのね。
継続バイトよりも、日雇い/単発バイト系が多かったのも珍しがられた原因かな。

面白い出来事というよりは、そんな仕事もあるの?系なので、それほど面白くないかもしれないし、私と同様単発バイト渡り歩いた人からは何も珍しくないかもしれないけれど。

単発バイトのシステム

あまりみんな経験ないという事は、どうやって日雇い/単発バイトが見つかるのか、という疑問があるかもしれないので、一応解説。
うちの大学の近くには、学生相談所という組織があった。
特定の大学に属するのではなく、大学や私立高校が集中している地域に、各校からは独立する形で。
他の地域にもあるのかは知らん。少なくとも京都にはあった。

そこに登録してると、毎日相談所に入った単発バイト募集のFAXが提示される。
どの辺の住所でどんな作業内容を、何月何日何時から何時まで、報酬いくらで、みたいな形で。
社名で人気不人気が出ると困るので、要請した社名は伏せられてるんだけど、でも何度も利用してたら「この住所で弁当製造夜間作業だったら○○堂」「イベントの什器撤去?この条件でこの募集表の筆跡は○○社だ!あそこはブラックだ、近寄るな!」みたいな感じで、判ってくるんだけどね。

で、午後イチに一斉、大勢集まった学生の中で、条件の合うバイト争奪戦が始まる。
相談所の人が張り出されたFAXを順番に読み上げて、希望者を募集、募集人員より多ければジャンケン。
この辺、どういう順番で読むかは判らないので、第二希望のバイト先が出てきて確実に取れそうだったら第一志望をあきらめて確実に押さえるか、とか駆け引きがあったりして、割と面白かった。

相談所は下宿の斡旋なんかもやってたけど、これはあまり使わなかった。
後、大学の学生課なんかも同様にバイトや下宿の紹介もやってたけど、こっちは企業バイトというよりは、何とか祭の行列人員募集とか、短期じゃないけど一般家庭からの家庭教師募集とか、そんなのが多かったな。

死ぬかと思ったバイ

京都の南の方だったかな?有機溶剤プラントの清掃バイト。
大量のトルエンだかシンナーだかを毎日大量に生産しているプラントの、人一人余裕で入れるダクトの中に入って内側を清掃。
そりゃ清掃用にプラント休業日なので清掃中は流れてないですが、普段は有機溶剤がたっぷり流れている金属ダクトの中に入って、ダクト壁面にこびりついた溶剤を人力でこそぎ落とすわけです。
でかいプラントなので、人数はいたけど一人当たり担当のところでも数時間。

マスクとかもしてたと思うけど、そんなのしてたって四方360度、どころか上下も有機溶剤が充満してる空間で長時間、しかも力仕事するわけです。
あれはマジで死ぬと思ったなあ。今思い出しても気分が悪くなる。


有機溶剤系って他にもあったなあと考えてて、今思い出した。
京都中京あたりの印刷会社で、年末大掃除に駆り出された事もあったな。
あそこも有機溶剤のニオイキツかったけど、普段一般社員の方も働く職場である分、プラントに比べればマシだった。
印刷会社は面白かったなあ。
ペットボトルとか製品包装なんかの印刷フィルムがガーッと印刷されてて、へー、こうやって作るんやと感動した覚えがある(もう記憶がビジュアル再生できなくなってるけど)。

一番楽だったバイ

百貨店屋上や博物館なんかでの、展覧会の什器撤去/搬出は割と数があって、かつ小金(3000円〜5000円程度)が楽に稼げるバイトで人気があった。

私もたくさん入れてたけど、ある時、京都駅南くらいのどこかのお寺境内(今思えば東福寺だったかも)で展覧会があって、その撤去要員として5〜6人が雇われた。
集合場所に集まって、いざ作業会場にバンか何かで移動したら、着いてすぐ現場の責任者の方曰く、「もう終わったよ」。
別に作業はバイトだけがやるわけじゃなくて、イベント設営会社の社員の人とかも居て、足りなさそうな人員をバイトで補充する訳だけども、要するにその見積もりが過大だったのか、バイトが集合して現地へ移動するまでの間に、社員の人だけで全部作業完了してたの。
で、何もしてないのに5000円ももらえて、「解散、帰っていいよ」って。
これで本当にいいんだろうか、と他の参加者とそばでウダウダしてたら、今度は撤収した什器のトラックへの積み込みが始まって。
それは作業対象外だったし、解散と言われたんだから手伝う必要もなかったんだけど、流石にこの時は、みんな手伝いました。

噂のブラック企業

一番楽な経験もした展示会什器搬出系のバイトだけど、酷い所もあった。
もう悪名高いので先に書いた相談所でも学生の間でブラック扱い、敬遠されてたところなんだけど、とにかく人使いが荒い、怒鳴る、たたき壊して釘が飛び出しているような部材を平気でバイトに処理させる、等。
私も京都高島屋の特別展搬出で入った事あるけど、エラそうに作業する若い中堅社員っぽい人が、明らかに歳は上だけど力もなくて気がつかなさそうな部下社員の人を、とにかく怒鳴る、みんなの前で罵倒する。
すると、その部下社員の人が、もう日々のストレスをバイトにぶつけるしかないのかもしれないけど、今度はバイトに当たり散らす。
まさに悪意の悪循環。
バイトはその日限りだから別にいいけど、あの人はホントにかわいそうだった。

あとブラックで有名だったのは、某製パン工場かな。私は入った事ないんだけど。
数時間数千円が相場の日雇い学生バイトの中で、一日中拘束や夜中拘束等で一回で万円の大台に載るバイトは、旧に物入りになった学生を救ってくれる救世主だったんだけど、
某製パン工場の夜間バイトだけは、あれは絶対行くなと話題になってた。
完全に機械の気分になって、人間性が壊れる、と。
でも、当時の私のように日々好き勝手生きてる学生にとっては一回で二度と行きたくなるような作業内容だったとしても、工場の一般社員にとってはそれが日常なんだろうなあと思うと、複雑な気分になるね。

京都の弁当屋、○○堂

そんな中、割のいい高額夜間バイトを定期的に出してくれる某弁当製造業者は、本当に貧乏学生の助けになった。
私もよく利用した。

よく入ったのは、揚げ物のライン。
パン粉のついた揚げ物を、金網のベルトコンベアに載せて揚げ機を通すと、中で揚げられて出口からボトボト出てくる。
それを取って次の行程に運ぶための大きなパッキンに詰めていくのが仕事だったんだけど、夜間は社員の人も少なくて割とのんびり仕事してるんだけど、夜明け方になると早番の社員さんが出勤してきて、どんどん活気が出てきて騒がしくなる。
だいたいそうなると「よっしゃ、ガンガンまわしていくでー」みたいなノリになって、夜中は1台しか回ってなかった揚げ機も隣の2台目が稼働するようになって、なんか流すのも受け取るのも競争みたいになって。
揚げ物を受け取るのは衛生ビニール手袋を付けてなんだけど、でも揚げたてを触る訳だからだんだん指先が低温やけどみたいになってきてしまって痛くなってくる。
けど、テンションがどんどん上がるんでなんか楽しくなってきて。
で、テンションが最高潮に達した所で、遅番の社員さんが出勤してきて、それと入れ替わるように日雇い社員は退勤。
「うし、お疲れっ!」みたいな感じで気持ちよく送り出してもらって、お金もいい額をもらい、徹夜なので疲れ切るけど、なかなかいい感じの職場だった。

でも、部門は揚げ物ラインだけじゃないので、たまに押し寿司の仕事とかに入ると、仕事内容はむちゃくちゃ楽なんだけど、製パン工場とは別の意味で人間性壊れそうになる。
職場に入ると、だだっ広い倉庫というか、一時保管所みたいなところで。
といっても、清潔さは保たれてて蛍光灯は煌煌とついていたので、倉庫とはちょっと違うかな。
でもだだっ広い所に、社員もいない一人っきりで放置されて、隣に頭の高さまで積み上げられたバッテラ入りパッキンの山。
それを一人きりで、夜10時から朝6時までの間に、ひたすら「バッテラの上に昆布を張る」作業。
一晩で仕上げればいいので楽っちゃあ楽だけど、むちゃくちゃ寂しかった。

でっかい冷凍倉庫の中に、材料を取りにいったりする作業もしたな。
「鶏のどこどこの部位」「ナゲット5パック」とか言って取りにいくと、社員の人が冷凍倉庫の中でそれを探して、入荷日付順に「これを使おう」とか引きずり出して、戻ってからビニール破って出して。
その後なんかして(この辺ちょっと記憶がない)、揚げ物ラインなんかに繋がったりしてた。


他にもいろいろあったと思うけど、思い出したら、またテーマを変えて。

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