Code for History

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CNFJ_FLAGの上に書かれた姓名を位置情報ビジュアライズしてみた

在日米海軍司令部(@CNFJ)が、第二次大戦中に米兵が戦地で入手した、日の丸の寄せ書きの所有者を探しています。

非常に多くの方の姓名が旗上に書かれており、そのうちのいくつかは非常に特徴的な姓或いは名であったために、私を含め何人かの方が電話帳データを元にしたデータベース等を用いてその所在を解析し、どうも岡山/倉敷付近の方々中心の寄せ書きでありそうだ、という報告をしています。

@chobichan 「道広」姓は岡山に多いと言うツイートが
@hiro101970 @CNFJ 他にも「中藤」姓や「守安」姓も岡山に多いようです。
@0kisok0 @CNFJ 素人の当て推量ですが、岡山県地方で書かれた物では無いでしょうか。数が多い同一苗字(中塚、原田、岡部、白神など)のうち中塚姓白神姓、そのほか黒住姓、守安姓も岡山県に多い苗字のようです。
@kochizufan 「原田山河海」って珍しい名前検索すると、全国で一人だけ岡山県浅口市に出てきます… bit.ly/tK2nhb
@ssawatari 「正清万吉」も岡山でしか該当がないですね。
@kochizufan この寄せ書きに特に多く出てくる「岡部」「西澤」「中塚」姓あたりを岡山県内で調べると、倉敷市/浅口市周辺に集中しています。この辺りの人達で間違いないんじゃないかなあ。
@iori_miyamoto_ 甲谷や白神は珍しい姓。甲谷はkabutoya.com/KABHTML/PROFHT…に最近の世帯所在地が。白神はgos.but.jp/siraga.htmの家系図に良男あり。(S19生なのでご本人が書いたとは思えませんが)。両家が重なりそうなのは岡山県
@yajifun 「白神」という姓が多いのが特徴だと思います。確実に読めるのは「治正、豊彦、伯ニ、良夫、周吉」の5人。白神姓だが読みづらいのが「茂?次」。白神姓の可能性があるのが「?神 房雄、?神 太七郎」の2人です。
@yajifun 「同姓同名探しと名前ランキング」 namaeranking.com で調べると岡山県に「白神」姓が多く、「白神 豊彦、原田 山河海、正清 万吉、正清 允」という方が各一名づつ居るようです。笠岡市浅口市倉敷市に問い合わせてみて下さい。

この辺の報告見るだけでも、どうも岡山、その中でも倉敷周辺の人達臭い、というのは感じられるのですが、やっぱりこういう情報を見ると位置情報ビジュアライズしたくなるのが位置情報業界の徒の宿痾というか。
ビジュアライズした方が、単に気のせいなのか、それとも本当に関連がありそうなのか、判り易いですしね。
というわけで、データとしては先にもリンクした『同姓同名探しと名前ランキング』を使わせてもらい、ビジュアライズにはこういう事をするのに便利なYahooの白地図APIを使って、画像化してみました。

ビジュアライズしてみた結果。

  • 原田山河海さんをはじめとする全国一人の名前の持ち主は、やはり岡山県のみに分布し、かつ岡山県内でも浅口市倉敷市は隣同士でほぼ同地域というのがよく判ります。
  • 白神、道広、中藤といった珍しい姓名は、ほぼ岡山県を筆頭として分布します。岡山県内では必ずしも倉敷付近が最大分布ではない場合もありますが、ほぼ次点程度の分布が見られます。
  • 岡部、中塚等のそれほど珍しくない姓は、岡山だけに分布するわけではなくむしろ少ない場合もありますが、岡山県内では倉敷周辺に最大分布があり、やはり岡山県内でも倉敷周辺の方々の寄せ書きではないかと推定されます。

というわけで、やはり岡山県倉敷市周辺の方々の寄せ書きと考えてよいのではないでしょうか。
今回使わせていただいたデータベースは、電話帳のデータを集約したものです。
と言う事は、全国一つの珍しい姓名を持つ4名の方は、そのまま電話帳に載っているはずで、CNFJさんが問い合わせれば案外簡単に連絡先が入手できる可能性も高いと思われます。


また、岡山編成の部隊であると考えますと、調べてみますと歩兵第10連隊というのがあったようです。
士官の名前は(満州出発時で時期は異なるようですが)こちらで見られるようですので、士官が寄せ書きしているかは判りませんが、この中の名前が旗の中で見つけられればビンゴかなと(私はまだ見つけられていません)。
Twitterでも

@yuzumik これ「出征の時の」日の丸かなぁ…。特徴的な苗字も散見されるけどばらばらだし…。部隊に配属されてから、所属隊員が寄せ書きして携行したものなんじゃないだろうか。いま米軍側が持ってるなら尚更「戦場で接収したもの」ではと。
@mijin_ko 出征の際の日章旗ならご近所さんも書いてくれると思うので、女性の名前が全くないのは不自然ではないかなあと思います。激励の言葉等がないのも。入営してから仲間同士で書いたものだったりしないでしょうか。早く持主が見つかりますように!
@HISONIC 誰宛の寄書きかが書いて無い様に見えます。日の丸の赤丸を囲むように上下左右に「武運長久」と書かれてあり、玉砕突撃前の大隊か連隊の兵士達の寄書きのようにも思えます。

と書かれていますが、出征時のものではないとすると、ざっと見300人くらいの名前がある*1ように感じるので、歩兵3中隊、或いは消耗後の大隊全員くらい?の寄せ書きでしょうか。

もし第10連隊だとすると、Wikipediaによると南方転進後の第10連隊の戦地はサイパン、ヤップ、ルソン方面で、特にルソンが激戦だったようです。
CNFJさんは

@CNFJ 「出征の際の日の丸国旗への寄せ書き」、発見された場所は定かではないのですが、保管していた方は、ルソン島、ビアク島、パラワン島ミンダナオ島サモアパラオ、レイテ島、ニューギニアパナイ島などに出征していたようなので、このいずれかで発見された可能性が。

と書かれています。
まあマッピングする程の事もないですが、マッピングするとこんな感じで、重なるのはルソンなので、ルソンで見つかった可能性が高いのかなと。

*1:4分の1面をざっと数えて70名ほどあったので、70×4=280

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